2018年07月24日
_ [travel] バルカン旅行 (2)ベオグラード
朝。やっぱり雨め。シャワーのお湯がなかなか安定してくれなくて難儀する。
朝ご飯はベーコンとマッシュルームのオムレツ……のつもりがフライパンと火加減が微妙でやむなくスクランブルエッグに。ホワイトチーズと一緒に食べるとおいしい。
ソーセージは袋に「袋のまま茹でてもいい」と書いてあったので、そうしてみる。セルビア産の安いソーセージだったが、これが超うまい。袋のまま茹でることで蒸したのと同じ効果が得られ、味が逃げずに閉じこめられる。帰国後に日本で売っているソーセージのパッケージは「調理時は必ず取り出してください」ばかりで、そのまま茹でられるものは見当たらなかった。
共和国広場からバス。行き先や方向によってバスの停留所が違う場所にあったりするのが難しい。Google Mapsはバス停情報はあるけどバス経路は探索できない、Ewayというアプリはなかなか良い経路探索をしてくれるがバス停の位置がいい加減、なので両方を併用しながら確認する必要がある。バスはトラムよりスピードが速く、道が悪いのか運転が悪いのかかなり揺れる。また、意外と停留所間が長いので逃すと痛い目にあう。
聖サヴァ大聖堂という正教会系では最大のカテドラル。1935年以来、戦争による中断もあり長年建造中。信者の寄付によって少しずつ作られている。外観はできたけれども中はまだまだ。
ここの最大の魅力は、地下。豪華な広間が広がり、「アンダーグラウンド」「シャンデリア」「柱」「装飾」とパートナーの大好物。パートナーが撮影している間、私はほかの何人もの観光客に撮影をお願いされていたり……。ともあれ、美しい空間でmust see。
ユーゴスラビア内戦時にNATOの爆撃を受けた、軍事省の建物。記憶建造物としてなのか、一部がそのまま残されている。
レストランZavicaj。鶏肉のスープ、豆とソーセージの煮込み。及第点ではあるが劇的においしいというほどではなく……と微妙なところ。コーヒーについていたお菓子(vanilice)がおいしかった模様。
「花の家」と呼ばれるチトーの墓を訪れる。第二次世界大戦でドイツへの抵抗軍・パルチザンを指揮し、戦後は米ソの間でバランスを取りながらユーゴスラビアをまとめた政治家。カリスマでまとめたが故に死後に民族間の地獄の内戦・分裂になってしまったというのが悲しい。
墓は山の上にあり、階段でいくのがしんどい。
誘導路に進んでチトー記念館へ。日本を含め各国から贈られた民芸品や切手、チトーの共産党時代の品々や趣味のハンティング、ナチスやウスタシャの拷問、あとはその後の分裂に至る民族主義政党のポスターなのかな?と思われる展示が。段差が多くて途中からだいぶ疲れる……。
近くのユーゴスラビア博物館は特設展のみオープンとのことで、このときは閉館中。
共和国広場へ戻るバスから外を眺めていると、素敵な教会が目に入り、途中下車。聖マルコ教会。アーチや色使いは、スペインコルドバのメスキータを彷彿とさせる。中はわりとフツーだけれども、七五三のような家族写真撮影が開催されていた。
共和国広場にてオレンジとレモンのアイスクリームで一息。
今日こそマップをもらうぞと昨日間に合わなかった共和国広場のInformationに入ってみると、「ここでは扱ってないので56番までまっすぐ歩いていってね」というお返事。実際歩いてみたら、商店街通りを1km歩くはめになり、死んだ目になった。カレメグダン公園というベオグラードの北にある大きな城塞公園のすぐそば。ショッピングモールで水を飲んで一休みする。
この辺りはオシャレなカフェが並び、セルビア大正教聖堂もある(ただここはカメラ禁止で中もさほど面白くもなく)。
眼下にはベオグラードの西方、サヴァ川が流れ、夜には喧噪となるであろうダンスパーティー船が停泊中。この時間帯はむしろ演歌っぽいのが流れている。
ゴロゴロ雷が鳴る中、アパートに帰ったところで豪雨。危ない危ない。
雨が止んだところで夕方の散歩。カレメグダン公園の丘の城壁跡が中世のような雰囲気を漂わせている。ドナウ川とサヴァ川の分岐点を眺めたりしていると天気がまた怪しい雰囲気に……。
日も落ちてきて暗くなってきているので、足早にサヴァ川を下る。だいぶ南に進むと若者向けのコジャレなレストランバーが川沿いに並んでいる。船内でのパーティーも開催されていた。
ここからトラムに乗ることを考えたものの、行こうと考えていたレストランとは全然別の方向になってしまい、むしろ歩いたほうがいい、というナビのお知らせ。
しかし、歩いた末に目指していたお店は休業日……。ひたすら歩いて疲労困憊。結局、一応候補の1つとしていた別のお店Walterへ。
クリームチーズ・トマト・キュウリのセルビアサラダはシンプルながら美味。チェバピサンドはトッピングを何も付けなかったので、ひたすら肉! 肉! という感じでちょっと食べにくい。玉葱とカイマクを頼むべきだったか。
朝食はベーコンとマッシュルーム炒め、目玉焼き。肉も卵もキノコもうまいぞー。
SMSで翌日の空港送迎を依頼しておく。
ゼムンという、ベオグラードとは別の発展をしてきたサヴァ川西岸地域に行ってみることに。廃墟っぽく見えるけど単にこういう剥き出しな構造のマンション。
ドナウ川と白鳥おじさん。
広場まで出ると何やら朝市の準備中。籠に入ったマルコという猫にご挨拶。
大きなスイカがごろごろ。プルーンがおいしそう。
ベオグラードとは屋根など少し雰囲気や文化圏が違う……ということだけれども、やはりヨーロッパではあるので、さほどめぼしいものもないし天気も悪いので引き上げ。
Usice Shopping Centerでおみやげを買った後、お昼はSlavija再訪。今回は完全に昼時なので人もさらに多く……つまりタバコの煙もきつめ……。セルビアにいる限りは逃れようがないね。
今度のラキヤは最もポピュラーなスモモ。慣れてきたので最初からおいしい。セルビアサラダはチーズなしを選んだが、キュウリの味がしっかりしていて美味。
そしてグリル盛り合わせは……半端ないな。肉をベーコンで巻く時点で意味がわからないがうまい。ありがとうお肉フォーエバー。ソーセージもやはりうまい。
北東側はムスリムが集まっているのか、モスクもある。トルコ料理屋でバグラワを買いたかったのだけど売り切れで次のができるまではだいぶ時間がかかるとのこと。代わりのパイ菓子を買って戻る。
また雨が降ってきた。アパートで紅茶とトルコ菓子。あんずの餡で、あまり甘くなく酸っぱい。
雨が止んだ。バルコニーから見える風呂屋の煙突みたいなのが気になって行ってみたのだが、スカダルリヤ通りの建物に囲まれていることはわかったものの、近づくことはできなかった。なんだったんだろう……。
ベオグラードは落書きは多いけれども、別段治安が悪いというわけでもない。危なさはまったく感じなかった。
ベオグラード最後の夕食だけれども、セルビア料理の肉やパンの基調はだいたい同じなので、さすがに少々飽きてきた。イタリア料理のEtalianへ。
カプレーゼはバジルがおいしかった。トマトの枚数と同じくらいバジルがほしかったよ……。ボロネーゼソースのタリアッテレ、きのこのスパゲッティは、どちらも「あと1分だけでも茹で時間を追加してくれればアルデンテになるのに……」と感じる固さで惜しかった。ソースの味は悪くなかったんだけど。外の吹きさらしのテーブル席は夜になるとだいぶ寒い。
食後の散歩。
夜のスカダルリヤ通りに行ってみたら、「ここにいたのか!」というくらい観光客密度100%だった(ほかで見たのは国立博物館の行列くらい)。レストランを回るジプシーミュージック系のライブミュージシャンも多い。
夜のベオグラード。共和国広場やミハイロ通りなど、本来はとてもエネルギッシュで賑やからしいのだけれども、今回の滞在中は雨がちだったせいかその辺りを歩いても喧噪には遠い静かな印象だった。
朝ご飯。生ハムは燻製の香りが強くて美味。モモも熟しておいしい。
近年まれに見る爽快な天気じゃないですかー。もう数日早くこれが見たかった……
オーナー旦那さんが送迎としてやってくる。夫婦で子育てしながら副業としてアパートメント経営をしているらしい。「ワールドカップのジャパンチーム、(ベルギー戦)すごかったねー」とか。本業は土地の測量士で、「日本語で何ていうんだ」「ソクリョウシ」「ソクジョーシ?」「ノーノー、ソクリョーシ」と発音講座。「リョーシ」は発音しづらいらしい。
ベオグラード空港はちんまりした空港。セルビア航空のカウンターが開いたので荷物を預け入れ、出国。
ここのラウンジはとてもよかった。落ちついていて、ラキヤもあるし、キノコのピラフ、マヨネーズソースのペンネ、オリーブ、と料理がうまい(スープは微妙だった)。
ベオグラード-ドヴロブニク間はエアセルビアで1時間のフライト。小さなATR-72で飛ぶ。
搭乗開始は定刻どおりだったが、乗ったバスの扉が閉まらず、代車待ちで20分遅延に……。しかもそのバスが向かった先は50mも行かない駐機場所で、これには皆も苦笑い。絶対歩いたほうが早いけど、保安上しょうがないよね。2-2の狭い座席で、頭上手荷物もかなり小さなサイズに限られる。皆ドヴロブニクにバカンスかな。
バルカン旅行 (3)ドヴロブニク へ続く。